ハイチ出張報告 1

2006年05月17日

 本日、ハイチ共和国大統領就任式典より帰国致しました。
 夕刻の便での帰国後息つく間もなく、外務大臣とアナン国連事務総長の会談に同席、続けてレセプションに出席しました。国連大学の関係もあり、アナン氏とも実りのある意見交換が出来ました。

 さて、今日から数日に分けて、ハイチ出張の報告をしたいと思います。

 35度を超す暑さと高い湿度の中、ハイチのプレヴァル大統領就任式は、世界各国からの賓客を迎え盛大におこなわれました。
 議会での承認、そしてカトリック教会での祝福の長い長いミサ、それから大統領府での就任演説と祝宴が続きます。

 その式典の、合間のこと。
 議会での認証式を終え、就任ミサのため教会へと向かう、防弾車での移動でのことです。
 途中、パトカーの先導にもかかわらず、何百人もの若者たちに取り巻かれ、窓ガラスを叩いて叫ぶものも現れ、騒然とした群衆の中で車は一時、止まってしまったのです。
 新大統領を祝福する者もいれば、また独裁と汚職で辞任した前大統領の写真をかざす者もいます。
 若者たちは勢いに任せ、賛否混合の集団となっていました。

 一瞬、何かのきっかけで暴徒化するかもしれないという懸念を感じさせられる瞬間がありました。
 実は、日本政府が用意したこの防弾車は簡易防弾車に分類され、ピストル程度の弾丸ははじきますが、機関銃などには太刀打ちできません。
 特に、私が乗った車は、以前に一度、流れ弾が当たって貫通したものの、そのとき乗車していた日本大使館員は運良く怪我もせず無事だったとのこと。不安感もなきにしもあらずですが、運のある車という気もしますね。ちなみに、イラクで奥大使らが50発もの銃弾を打ち込まれ殺害されたときに使用していたのと、まったく同型の車だとのことでした。

 1804年にフランスから、黒人国家として史上初の独立を果たした誇りを持つハイチは、人口800万人を数え、かつてはサトウキビの輸出で栄え、欧米からの観光客も多く、一時は、日本の繊維工場やスポーツ用品のNIKEの工場などもあったといいます。
 しかし、現在は、国家として破綻するギリギリの様相を呈していました。
 奴隷制に反対し独立したにもかかわらず、いつの間にか、10%の持てるものと、90%の持たざるものとの格差が極端に開いてゆき、階級社会化し、そこへ、独裁政権が続き、武装した私兵が横行するようになり、政治的に破綻をきたしたのだといいます。
 追い打ちをかけたのが、コロンビアから流入した麻薬でした。
 高速艇や小型飛行機で搬入され、米国などへの密輸の基地にさえなってしまったのです。
 くわえて、エイズ、マラリア、デング熱などの疾病が蔓延し、金銭目的の誘拐やレイプなどの凶悪犯罪が日常横行しているとの報告もあり、国連PKOが投入され、現在も約9000人が駐留しています。
 ブラジルが指揮を執っていますが、ときおり銃撃戦もあり、残念ながらまだ決して治安上安心といえる状態までは回復していないのです。
 そんなハイチの現状を肌で感じさせられる、防弾車での移動でした。

 明日は日本とハイチの関係を中心に、話を進めたいと思います。

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