英国、アゼルバイジャン、グルジア公務出張報告3
2006年07月23日
本日はこれから成田に向かい、ハイチ、ペルー、エクアドル公務出張に出発致します。
ハイチでは、ハイチ支援国会議に日本代表として出席し、スピーチも行う予定です。続くペルーでは、大統領就任式に総理の特派大使として日本を代表し出席し、エクアドルでは日本のODAによるプロジェクトの開始に立ち会います。
今回は、8月3日帰国予定という非常に長い出張となっておりますが、日本のプレゼンスを高め、国際社会での地位を向上していくために、しっかりがんばってきます。
詳細については外務省の公式リリースもご参照ください。
さて、本日はグルジア訪問について報告します。
■7月17日~19日 トビリシ■
グルジアといえば、なじみ深いところでは黒海太始め4人の関取が日本で頑張っている人口460万人の国です。
旧ソ連の外相として有名だったシュワルナゼ氏や、あのスターリンの故郷としても知られるなど政治家を多く輩出しているだけでなく、バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリ(初めて彼女の踊る映像に接したときには、その正確なテクニックに驚いたものでした)、音楽家のハチャトゥリアン(アルメニア人)などの芸術家も多く輩出している国です。
この国の人口構成はグルジア人が約70%、アルメニア人が8%、ロシア人が6%等となっています。
公用語はグルジア語ですが、この言語はロシア語とも通じます。
首都のトビリシの中心部には、1キロ平方メートルの中に、グルジア正教とアルメニア正教の聖堂、イスラム(スンニ派)モスク、ユダヤ教シナゴーグが並び立っている不思議な街並みです。
アゼツバイジャンは炎の土地でしたが、グルジアは「温かい所」の意味で、トルコ風温泉もあります。
そんなグルジアは、一歩郊外に出ると、豊かな農村地帯がゆったりと広がっていました。
北西20キロの地点にあるムツヘタは、町全体が世界遺産に指定されていて、紀元前4~5世紀にはイベリア王国の首都として繁栄した町です。町の中心にはヴェティ・ツヴェリ(命の砦)聖堂があります。ここにはキリストの上衣が埋められているという伝説があり、その場所に杉の木が育ち、教会を立てるために木を切ると、病を治す樹液が流れ出て、この名前がついたとか。
教会の入り口には、麻にて刺繍の十字文様の袋などを売っていました。その袋は素朴ながら引きつけるものがあり、良いことを呼んでくれそうな気がします。
グルジアはロシアからの独立後もアブハチアと南オセチアにロシア軍(CIS平和維持軍という名称ですが)が駐留しており、政治的に安定しませんでした。2003年11月に国会選挙の不正に端を発した政変(いわゆるバラ革命)によって、シュワルナゼ前大統領が退陣し、現在のサーカシヴィリ政権が誕生しました。サーカシヴィリ大統領は、ウクライナキエフ大学で国際法を学んだ後、コロンビア大学やジョージタウン大学で学んだ38才という若手気鋭の親米派で、42才のブルジャナッゼ議長(女性)との二人三脚で、警察の腐敗と戦い、改革に成功しました。
警察の腐敗を駆逐できた旧ソ連邦の国はグルジアだけといわれており、それだけに、ロシアとの関係は緊迫しています。今回の訪問時も、南オセチア問題などをめぐり緊迫した状況が続いていました。
今回、政治レベルの現職政府高官としては初めての、私のグルジア訪問が決まったのは、政治レベルでの友好関係を深めサーカシヴィリ大統領の訪日を実現するよう働きかけるためです。
今回私の訪問が決まったのをきっかけに設立されたという「グルジア・日本」友好議員連盟のジョルジョリアーニ会長以下所属国会議員のみなさん、ブルジュナッゼ国会議長をはじめとする国会議員・関係者らなどとの会談、ノガイデリ首相、ベズアシヴィリ外相との二者会談などが行われました。
民主化プロセスの親展に対する評価などをお伝えし、日本としてもこれまで行ってきた、エネルギー、運輸・通信等の経済インフラ、保健・医療、教育等の社会セクター、制度作り、市場経済・行政分野の人作りに重点を置いた支援を引き続き継続することと、さらに、今年3月に締結されたセクター・プログラム無償の有効利用を期待していることを伝え、現在進行中の技術協力協定の早期締結を促したところ、そうした提案への賛同を表明され、在京大使館開設決定や、日本の常任理事国入り支持など、本当に嬉しいお話を次々と聞くことが出来ました。
また、私は朝市を視察していたので、グルジアは厳しい歴史的な環境から得られた知恵があり、保存食や自然食材による健康に適した様々な独自の食文化を開発していることはとても大きなアイデンティティでありアドバンテージであるとの認識から、ワインや水のみならず、豊富な農産物に付加価値を付けて、貿易相手を拡大することをアドバイスしたところ、ブルジュナッゼ議長をはじめ非常に感銘し、自分たちの持っている社会的財産にもう一度注目したいとの感謝の意が表されました。
どの会談も非常に密度の濃い会談になり、特に議長会談や外相会談では、対ロシア情勢もあり政府全体に緊張感が漂っており硬い雰囲気ではじまりながら、話が進むに連れどんどん明るく和やかな雰囲気に変わっていったのが印象的でした。
対ロシア情勢の緊迫化でサーカシヴィリ大統領との会談が急遽キャンセルになったのは残念でしたが、外相にしっかり大統領訪日要請を伝えました。
遠い国ですが、これから、文化と経済を中心にどんどん交流が深まっていくきっかけとなるよい訪問となったようで、遠路はるばる時間をかけて出張してきた甲斐があったとほっとしました。
それでは、これから成田に向け出発したいと思います。
行って参ります。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
英国、アゼルバイジャン、グルジア公務出張報告2
2006年07月22日
本日は朝から地元入りです。
東京は昨日までとは打ってかわって、明るい空になりました。
明日から再び公務海外出張が続きますから、地元の皆さんの笑顔に触れて、しっかりエネルギーを充電したいと思っています。
報道では、九州など西日本を中心にまだ天候の不安定な地域もあるとのこと、皆様十分お気をつけください。
本日は、アゼルバイジャン出張について報告します。
■7月14日~15日 バクー■
13日は機中泊で、アゼルバイジャンの首都バクーに着いたのは14日でした。
今回の訪問は、3月のアリエフ大統領訪日時の共同声明、技術協力協定、両国外務省間の協力に関する覚書を踏まえたもので、来日時に私がアリエフ大統領の送迎等に尽力したことから私が代表となったものです。
アリエフ大統領訪日の成果を適切なタイミングでフォローアップするタイミングとなり、政府を初め非常に大々的な歓迎を受けました。
14日には、政府要人との会談が目白押しでした。
シャリホフ副首相との会談では「日本は真の友人です。日本のこれまでの支援は地方に至るまで広範囲に行き届いています。ほんとうにありがとう。今後様々な分野で日本企業が進出し、日本の技術がアゼルバイジャンの発展に寄与することを期待しています」といった言葉を聞くことが出来、ラシザデ首相との会談では、民主化プロセスについて、「日本は、アゼルバイジャンの状況を良く理解してくれています」との感謝の意が表されました。
私はそれぞれの会談で、民主化、市場経済、法の秩序に向けたアゼルバイジャンの努力を引き続き支援していきたいと述べるとともに、同国の発展には経済社会基盤、人づくり、石油産業、非石油産業、中小企業の発展等が必要である旨指摘し、日本は「人間の安全保障」の観点から、保健・医療や難民支援を行ってきており、さらに、アリエフ大統領来日時の発言に基づき、鳥インフルエンザなどの支援も行うことを伝え、また、「日本・アゼルバイジャン経済合同会議」の開催を提案するなど、アゼルバイジャンとの友好的な未来について日本政府を代表してお伝えしました。
興味深かったのは、 ラシザデ首相から、「今日、一つの結論が出ました。自分は今日まで、数多くの首相、外相、外務次官等と面談してきたが、あなたにお会いして、我が国も、女性の、副首相・政務次官レベルの要人を置くことを進言することにしました」とおっしゃったことです。
意外なところで、女性の社会進出に貢献できたようでした。
メルレモフ「アゼルバイジャン・日本」友好議員連盟会長(国立バクー大学学長)との会談後には、国立バクー大学で日本語を教えている教師及び学生が紹介され、学長より、日本語研究を他の大学にも普及させたいので日本語講師(現在1名しかいません)の派遣数を増やすことへの協力要請がありました。
こんな遠く離れたところで、日本語を学び日本文化を知りたいと真剣に考えているたくさんの人たちがいるという事実は、本当に、嬉しい限りです。
メメディヤロフ外相との会談では、アゼルバイジャンは日本の常任理事国入りを支持しているという発言がありました。私からは、WHO次期事務局長に尾身茂氏を支持要請の総理親書を手渡し、丁重にお願いをしました。
外務大臣との会談後の記者会見は終始和やかなものとなり、当日の各社のテレビニュース、新聞7紙に記事が掲載され、結果、日本のプレゼンスを高めることとなりました。
二国間関係の強化やコーカサス地域を中心とした国際情勢についての意見交換と日本のプレゼンスのアピールという所期の目的を遥かに超える成果がもたらされ、ほっとしています。
15日は、先方からの是非という要望もあり、ザンジャガル石油ターミナルを視察しました。
アゼルバイジャンとは「炎の土地」という意味だそうで、原油からのガスによる自然発火の炎がたくさん見られたことからつけられたとのこと。19世紀から石油採掘で財をなしたところです。
独立前後にはアルメニアとの戦争や度重なる政変を経験しましたが、90年代半ばからはカスピ海への石油投資ブームを背景にふたたび原油により経済が好転しているとのことです。
石油ターミナルの入り口には、大きな手形がありました。
私が手を入れると、倍の大きさはあります。
これが、2メートル近い身長を持つ現アリエフ大統領のものだそうです。
並んで飾られているグルジア、トルコなどの国家元首と比べてもはるかに大きく、英国のアンドリュー王子のは華奢にみえました。
アゼルバイジャンから、グルジアを通り、地中海のトルコに至る1776キロのBTCパイプラインが16日に開通しました。
これは、中露に対抗して、米国が強く後押しをし、ロシアやイランを経由せず、世界へ出荷できることを念頭に開発されたという経緯があります。
アゼルバイジャンの首都バクーのB、経由するグルジアの首都トビリシのT、そして執着地点であるトルコのジェイハンの頭文字Cを取ってBTCとなづけられたものです。
このプロジェクトには日本からも伊藤忠商事と国際石油開発の2社が共同参加しています。
小泉首相が参加する最後のG8では、原油価格急騰について「高くて不安定だ」と懸念を表明し、「エネルギー安全保障」の強化を主要議題とし、(1)原油増産に向けた産油国の投資環境の改善(2)省エネルギーの推進(3)エネルギーの多様化――などが議長総括に盛り込まれました。
これからの時代、現実の国民生活・日本社会、そして国際社会のエネルギー上の安定をしっかり担保する一方で、環境を守り安心して暮らせる未来の実現のため努力を積み重ねる、並行的な施策、いわば、「両手のエネルギー政策」を実現していくことは極めて重要になっています。
今回のBTCが、そしてG8サミットが、その良いスタートになれば…との想いを強くさせられる石油ターミナル視察となりました。
明日はグルジア訪問について報告致します。
それでは、これから地元へと戻ります。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
英国、アゼルバイジャン、グルジア公務出張報告1
2006年07月21日
今年の梅雨は本当に雨が多く、各地で土砂災害が発生するなど深刻な状況になっています。特に、長野県、島根県などでは甚大な被害となり、死傷者も多く出るなど、憂慮すべき状況となっています。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
党も大雨被害対策本部を設置し関係市町村への働きを強め、政府も専門家を被災地に派遣するなどしていますが、雨量も多く、まだまだ予断を許さない状況です。
幸いにも被害の及ばない皆様も、お出かけの折りなどは十分お気をつけください。
さて、報告が遅くなりましたが、一昨日、英国、アゼルバイジャン、グルジア公務出張より帰国致しました。
本日よりその報告を掲載したいと思います。
■7月10日~12日 ロンドン■
ロンドン到着後すぐオックスフォード大学でのケインズ賞授賞式に招待出席し、翌る11日には、チップマンIISS所長、ウィリアムズ貴族院議員、ガーデン貴族院議員、コープ英議会科学部長、旧知のグールディング オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ学長をはじめ英国要人と、北朝鮮の核・ミサイル及び拉致をめぐる問題、イラン情勢、中東和平問題等の国際的な安全保障問題を中心に会談を精力的に行いました。
そして、7月12日には、RUSI(王立統合防衛安全保障研究所)主催の「日英安全保障協力会議」にて基調講演を行いました。
ロンドンの王立統合防衛安全保障研究所は、ルーシィ(RUSI)というかわいらしい女の人のような名前がついていますが、19世紀に創立された世界最古の伝統と実績を誇る安全保障シンクタンクとして知られる軍関連の研究所です。
私は招かれて2003年の5月にPKO(国際平和維持活動)やPBO(国際平和建設活動)、アジアの安全保障という枠組みの中での平和維持と平和構築について講演し、ミサイルと核についてのセッションの議長も行った経緯もあり、今回、基調講演の機会を得ました。
基調講演では、日英には、テロとの闘い、イラクの復興支援や大量破壊兵器等の拡散防止など安全保障面での協力の素地が存在している、これを基礎に、著しく変容し不安定な国際環境に、日英がさらに協力・連携して取り組んでいく必要がある、といった話をしました。
さらに、その具体的な例として、日本が、紛争や自然災害によって被害を受けた国・地域の平和構築のあらゆる段階で貢献できるよう、軍・文民警察・官僚・民間・NGOの人材育成の枠組み構築を進めている現状を説明し、その分野で日英が協力・連携できる事項は種々存在するという指摘もしました。
基調講演後には、BBCラジオ4で北朝鮮ミサイル発射に対する日本政府の対応に関してのインタビューを受けました。安全保障理事会での決議を求めた日本の迅速かつ毅然とした対応に、海外での関心も高いようです。
明日はアゼルバイジャンについて報告致します。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告8
2006年07月10日
本日より、英国、アゼルバイジャン、グルジアへの公務出張に出発します。
英王立統合防衛・安全保障研究所で基調演説を行い、要人との会談を行います。
アゼルバイジャンへは今年3月の大統領訪日への返礼を兼ねた訪問を、グルジアへは日本政府要人の初の訪問の重責をになっての出張です。
北朝鮮の問題もあり、日本を離れるのは心苦しい部分もありますが、国際社会の中で平和国家日本の活動と東アジアの現状の理解を広めるためにも、しっかりがんばってきたいと思っています。
詳しくは外務省の公式リリースもご参照ください。
出張の内容については、帰国後、改めて報告致します。
スイス・モンテネグロ出張の報告最終回は、モンテネグロ共和国への総理特使としての訪問についてです。
■6月21日~23日
今回は、モンテネグロ共和国の独立を受け、6月16日、通常国会最後の閣議で、日本が同国を世界で初めて国家承認したことに伴い、小泉総理の親書をジュカノヴィッチ首相に手わたすため、ジュネーヴ出張とあわせてモンテネグロへの出張となりました。
今回のモンテネグロ共和国訪問については、外務省の公式リリース、公式な帰朝報告もご参照ください。
また、Yahoo!セカンドライフのコラムでも触れていますので、ぜひご一読ください。
さて、モンテネグロ共和国の独立直後に日本が政治レベルの要人を派遣したことは、日本が西バルカン地域の平和と安定を重視していることを内外に示したという意味で、非常にタイムリーであり、効果的かつ有意義であったと評価されました。
日本に関しては、柔道が紹介され、東海大学で柔道部キャプテンもしたというベチャノビッチ氏も今後のスポーツ交流に期待感を示しています。
現地のテレビ、ラジオ、新聞等のメディアもモンテネグロの独立を最初に認定した国・日本代表の訪問として取り上げ、大統領、首相との会談や、外務大臣との会談・共同記者会見の模様などを放送されました。結果として、日本のプレゼンスを高めることに寄与しすることができ、ほっとしました。今後の両国関係の良いスタートとなり、本当に嬉しく思っています。
また、世界遺産登録されており、日本が修復や維持に財政援助をしている中世の港湾要塞都市コトルを視察しました。
その際、リサンにおいて、野晒しにされているローマモザイクの遺跡も現状視察をしました。
独立直後でもあり、とても文化遺産まで手が回らないのが現状と拝察し、その面で、日本が何ができるか、検討に入りました。
縁があった国ですから、できるだけ中長期にわたる開発計画を総合的視座で考えることで、文化的にも平和構築と社会の安定化にも大きく貢献できることと思います。
生まれたてのモンテネグロが、優しく良い国として発展することを願っています。
いよいよ暑さも増してきました。皆様お身体には十分ご自愛ください。
では、行って参ります。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告7
2006年07月09日
日曜となりましたが、北朝鮮のミサイル問題もあり、なかなか皆様安心できていないのではないでしょうか。
一日も早い包括的な解決を目指して、がんばらなければならないと手綱を締め直しています。
スイス・ジュネーブでの二者会談の報告を続けます。
□エレラ・ウルグアイ外務次官
人権理事会の基本姿勢について確認し、安保理改革の進展に向けての意見交換も行いました。
さらに、北朝鮮の拉致問題、同外務次官が取り組んでいる児童の商業的性的搾取の問題に関しても協力を確認しました。
孫がなんと12人いるというエレラ女史は、長年国連難民高等弁務官事務所に勤務し、緒方貞子さんの下で働いていたそうです。
ですから、彼女の日本女性のイメージは「タフ」の一言なんだとか。
今回私のスピーチを聴いて、「配慮がありながら、迫力と説得力を持つ、正に、緒方貞子さんを思い出した」とのこと、私のスピーチで緒方さんを想い起こしてくださるとは光栄です。
□サマラシンハ・スリランカ災害管理・人権問題担当大臣
津波に際する日本の支援に対して謝意表明がなされ、引き続き関連の協力を進めていくことで一致しました。
また、人権問題の存在するスリランカ政府が人権問題担当大臣ポストを新設したことの意欲への理解を求められました。
私も、旧知の明石代表が尽力していることでもあり、今後のスリランカの和平と人権問題の解決を期待していると伝えました。
さらに、次期WHO事務局長選挙について、尾身候補への支持を要請しました。
□マセメネ・レソト法務大臣
レソトは南アフリカにある小国です。
同大臣より、日本のODA支援に感謝の意が述べられました。
また、近隣諸国にも人権蹂躙を行っている国があり、北朝鮮による拉致家族の問題への理解を示しました。
法務大臣ですので、外交問題よりも、人権侵害問題の方が専門に近いので、人権理事会のメンバーになったことをとても喜んでいて、今後もこの分野で日本との協力を推進したいという希望が表明されましたので、日本としても協力して、この理事会を実効性のシステムにするための協力は惜しまない旨伝えました。
□オリ・ネパール副首相兼外相
民主主義の定着に向けた努力を説明し、日本の今後の支援を期待しているとのことでした。
日本としても、ネパールが今後民主的な国家として安定するよう期待していることを伝え、人権問題での協力を期待する点についても述べました。一年以内に選挙があるそうなので、その選挙が民主的に執り行われ、民主政権が強固になるように期待しているとも伝えました。
さて、要人会談とは違いますが、忘れられない出会いもありました。
国際機関邦人職員との昼食懇談会でのことです。
それぞれの立場からの意見交換を行ったのですが、その際に、一人の国連職員の女性が、立ち上がり、私のサインを求めて、こんな話をしてくれました。
彼女のお母様が、私の2004年の著書である『運良く女性に生まれたら、世界を舞台にひと仕事』を読んで感激し、彼女にも勧めました。
そして、彼女はそれを読んで現在の国連職員という職業を選んだというのです。
今朝、日本に電話して、お母様に、私と会うことを話したところ、サインを貰ってといわれたのだそうです。
自分の書いた言葉が、誰かの人生がポジティヴに進んでいく助けになるなんて、本当に思いがけない喜びでした。
それにしても、日本から遠く離れたジュネーヴで、私の著作を読んで勇気づけけられた人に会うなんて…ほんとうに嬉しい想定外でした。
翌朝、6時出発で、また乗り継ぎしながら、モンテネグロへ向かいました。
明日はモンテネグロでの活動について報告します。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告6
2006年07月08日
昨日は、北朝鮮問題の対応のため、夜半過ぎまで外務省に詰めていました。
国連安全保障理事会の議論も大詰めを迎えているようです。
今日は朝から地元に戻ります。
ここ数日緊張の中に緊張の状態でしたので、多少なりとも気持ちを休められればと思う反面、やはり、いまそこにある危機に対して気持ちが引き締まる思いです。
さて、本日は、スイス・ジュネーブでの要人との二者会談の続きを書いておこうと思います。
□アルブール国連人権高等弁務官
予想通り、6月23日に行われる報告の明確な指針はまだ未定であるとの答えでした。
同弁務官は、自身のカンボジア訪問の成果を強調することを中心に考えているようだったので、拉致問題を含む北朝鮮の人権問題を報告に必ず盛り込むよう強く要請しました。
すると、当初は個別国名は緊急を要することのみ言及の方針なので難しいとの返事でしたが、結局、最終的に何らかの形で北朝鮮の人権問題に触れるとの約束を取り付けました。
帰国後報告の内容を確認したところ、約束を守り、「拉致」という言葉こそ使用しなかったものの、北朝鮮の人権問題という表現で触れたとのことでした。
□マッカートニー英国貿易産業省及び外務・英連邦省閣外大臣
グラスゴー出身というだけあって、なかなか訛の強い英語でしたが、主要関心国の一つである英国と今後の協力・連携の強化を確認しました。
昨年はEU議長国として北朝鮮の拉致問題に関する国連決議の提出者として頑張ってくれましたので、そのことに対する感謝も伝えました。
同閣外大臣は、20日に帰国して、国会で北朝鮮問題について報告するということでした。そこで、次回の英国訪問の折には、英国国会における北朝鮮問題の動向を聞かせてもらうことにしました。
□楊・中国外交部副部長
ドーハでの日中外相会談や中国首脳による日中関係重視の発言を踏まえ、青少年交流等相互理解の促進を含め前向きに取り組んで行くことで基本的に一致しました。
また、私の方より、2000年に止まったままの日中人権対話の再開提案に対し、検討したいとの回答がありました。
楊外交部副部長からは、再三、総理の靖国問題に言及がありました。
また、北朝鮮の拉致問題に関しては、東アジアの平和と安定を模索する立場から理解する主旨の応答がありました。
□デルベス・メキシコ外務大臣
まず、人権理事会の議長に選出されたことへの祝詞を述べ、メキシコ側から、ミスフォーラムへの皇太子殿下のご出席への感謝がのべられました。
人権理事会を対話と協力の基本姿勢で運営することと、ワーキング・グループの設置及び、ピア・レビューとマンデーと・レビューの必要性を私から述べ、賛成を得ました。
また、人間の安全保障に関するフレンド・グループの立ち上げについての協力を要請し、快諾を得ました。
なお、次期WHO事務局長選挙について、日本の尾身候補への支持を要請した。
麻生外務大臣を本部長として、11月のWHO事務局長選挙に日本人の尾身氏が当選するように、関係国への働きかけの強化を確認したことを受けての交渉です。
明日も要人との二者会談の続きをお書きします。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告5
2006年07月07日
本日も朝から深夜まで、北朝鮮への対応のため緊密なスケジュールとなっています。
連日、安全保障委員会をはじめとする政府、党の対策協議会が各所で進められているほか、省内外でのミーティング、協議もひっきりなしです。
国連安全保障理事会の動きも気になるところです。
今日は七夕ですね。東京はあいにくの空模様で、織り姫と彦星は難しいかもしれません。
皆様のお住まいの地域ではどうでしょうか?
さて、今回のスイス・ジュネーブ公務出張では、国連人権委員会、軍縮会議の合間を縫って、12カ国の大臣と4人の国際機関要人との二者会談を行いました。
今日はそうした二者会談について概観して報告したいと思います。
□アナン国連事務総長
7月中にハイチで行われるハイチ支援に関するフォローアップ会合で、アナン事務総長と会談することになりました。
□シュタインマイヤー・ドイツ外務大臣
「お久氏振り!」という親しみを込めた再会の挨拶から昼食をご一緒しました。
二者会談では、ドイツ・日本の今後の交流の促進と、EUの立場からイランの核問題、北朝鮮のミサイル発射準備の問題などに関する意見交換をおこないました。
□ボット・オランダ外務大臣
オックスフォード時代以来の知己で、来日された際にもお会いしていたのですが、昨年9月に国会に戻ってからお会いするのは初めてです。
シュタインマイヤー・ドイツ外相とも非常に親しいとのことで、昼食を共にしました。
二者会談では、イランの核問題、パレスチナ政府の問題、北朝鮮問題、アフガニスタン問題、コソボ問題、国連事務総長選等に関して忌憚のない本音の友人としての意見交換をしました。
ご縁とはありがたいことです。
□トゥオミオヤ・フィンランド外務大臣
次期EU議長国であるフィンランドと今後の協力・連携の強化を確認しました。
また、中国への武器輸出解禁に懸念を表明し、拉致問題解決への協力を依頼しました。
はじめてお会いしましたが、シュタインマイヤー外相とポット外相が私を友人として紹介してくれましたので、最初から非常に気さくに話が進み、「次にフィンランドへいらっしゃるのはいつですか?是非会いましょう」ともいっていました。
7月から12月までEUの議長ですから、何かあったらすぐに連絡を取れる縁ができ、日本にとっても役に立つご縁が結ばれたのではと思っています。
□エリアソン国連総会議長兼スウェーデン外相との会談
前出のように、本当の信頼関係に立ち、終始とても良い雰囲気で話し合うことができました。
総理のスウェーデン訪問(平成18年5月)について、今後もフォローしていくことを確認しました。また、安保理改革のアナン事務総長の将来の構想に関して、さらにエリアソン議長自身の人権理事会に対する期待と進展に向けての考えを聞き、意見交換を行いました。
平和構築委員会の今後の取り組みに関しても協力していくことで一致しました。
対象国は、今のところと、ブルンジとシェラレオーネがきまっているようです。
アジアの東チモールは対象外かと聞きましたら、東チモールから要望がでていないとのことでした。
また、「ハイチの復興には国連がどうかかわるべきか?」と意見を求められたので、私の見た実情を紹介しつつ分析したところ、「私たちには貴女の知見が必要だ」としきりにうなずいていました。ささやかでも日本外交の存在感が出せたならと嬉しく思います。
北朝鮮拉致問題に関しては、議長が外務大臣として来月、国王ご夫妻に同行訪中する際に、中国高官に対して協力を要請することの約束をしてくれました。12月の国連平和構築委員会の件でも、彼は、約束をきちんと守り果たしてくれる信頼できる人物であることを実感しました。最後には信頼できる友人が一人増えたことを確認しあいましたが、本当に嬉しいことです。
□カルミ・スイス外務大臣
人権理事会第一回総会の成功を祝し、日本とスイスの良好な関係維持を確認しました。
女性外務大臣による女性の人権問題に関するステートメントの取り纏めを提案されましたので意見を述べるとともに、北朝鮮の人権侵害に関して、脱北者も含め女性が非常に辛い立場におかれていることをしっかりと伝え、解決にむけ意見交換をしました。
□グラバル・クロアチア外務大臣
5月のテッサロニキにおける南東欧閣僚会議の際にお会いして以来です。
国連人権理事会選挙の協力を要請したところすぐ本国に連絡し、日本支持を確約してくれた経緯があり、感謝を伝えると、人権理事会の場での再会をとてもよろこんでくれました。
おりしもクロアチアと日本はサッカーで引き分けたのですが、日本の高円宮妃とともに観戦し、日本を非常に身近に感じたとのことです。
□ムンタボーン北朝鮮人権状況特別報告者
拉致問題を含む北朝鮮の人権問題の取扱いの基本方針を確認すると同時に、私から、同報告者の報告に、4カ国被害者家族の訪日、拉致被害者家族の訪米、韓国家族の訪日などの最新の動きも言及するように求め、ムンタボーン氏も同意しました。
資料の提供を約束したので、早速英語の資料を準備するよう、帰国してすぐに外務省の担当部局に指示しました。
なお、タイ人である同報告者の任期延長に関して、彼は日本の立場も良く考慮してくれているので、日本は支持する旨を伝えました。
また、近いうちに訪日したい旨話がありましたので、訪日を歓迎すると応じました。
長くなりましたので、続きは明日の報告で書きたいと思います。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告4
2006年07月06日
昨日は夜遅くまで、北朝鮮情勢をめぐる緊迫した一日となりました。
国際的にも非難が高まる中、さらに実効性ある対応を進めていかなければと気持ちを引き締めています。
さて、再びスイス・ジュネーブ公務出張の報告に戻りたいと思います。
2日目には、ジュネーブ軍縮会議でスピーチを行いました。
■6月20日
実は、この10年間、軍縮会議では目立った進展が見られていませんでした。
日本政府としても、そろそろ日本のイニシャティブで何とか前進させたいというところにきていましたので、本来は大使級の会議だったのですが、是非、大使ではなく、日本の政府高官がスピーチをして、これまでの停滞感を打破してほしい、ということから、私が特例として迎えられたのです。
そこで、停滞している軍縮会議をいかに前向きに動かすか、という軍縮会議本来の目的に集中した、しかし、かなり刺激的な内容のスピーチをしました。
1.CDは停滞を続けてきたが、本年のCD6議長によるイニシャティブ(主要事項に関する集中討論)によりモメンタムが生じています。特にFMCTの集中討論のモメンタムを活かし、FMCT交渉を開始すべきです。
2.FMCT交渉開始に際しては、米提案の条約案とマンデート案は、議論の良い出発点となると考えています。
3.できることから開始すべきであり、リンケージアプローチは止めるべきです。また、他の事項に拘わらず、FMCT交渉は開始すべきです(核軍縮、宇宙の軍拡競争防止(PAROS)、消極的安全保証(NSA)は引き続き議論する)。
4.過去のアプローチに捉われるべきではありません。5大使提案が成果を挙げていない以上、そろそろ5大使提案の呪縛から解放されるべき時が来ていると考えています。
議論を喚起するような内容だけに反響が気になるところでした。
しかし、話し終えると同時に、オランダ、米国、フランス、ロシアなどの大使等が握手を求めて詰め掛け、
「われわれが言いたくてもいえないことを、スパッといってくれた」
「これで、10年間停滞していた軍縮会議が動き出す良いきっかけとなった。」
等のコメントを半ば興奮しながら口々に述べるのです。
踏み込んだ、大胆な提言を含むものだっただけに批判も覚悟してのぞんだのですが、かえってこちらが驚くほど肯定的な評価ばかりでした。
スピーチは説得力を持ち、軍縮会議に貢献したことの証左といえるのではないかと、ほっとした瞬間でした。
明日は、この2日間に行われた2者会談のことなど振り返ってみたいと考えています。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
北朝鮮ミサイル問題について
2006年07月05日
本日未明、日本はいうまでもなく、国際社会の再三の警告にもかかわらず、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、複数回にわたり、ミサイルと思われる飛翔体を発射しました。
この、テポドン2号を含む6発のミサイルと思われる飛翔体は、全て、日本海側に着弾したことが確実となっています。
日本にとっては、現実の脅威と受け止められる重大な事態です。
外務省でも午前5時に緊急対策本部を立ち上げ、私も取るものもとりあえず直行しました。
1998年にテポドン1号が日本の上空を飛び越して太平洋に着弾しましたが、そのときとは状況が全く異なっています。
すなわち、北朝鮮は核の保有を宣言し、また、6者会談も始まっており、さらには、拉致を認め、既に5人の被害者および家族が帰国しているものの、まだ、残された拉致被害者は残されたままです。
その上、国会では、北朝鮮への制裁措置に関する法案も通過したばかりです。
対話と圧力という政府方針のもとで様々なルートから発射の中止を促し、中国政府や韓国政府など北朝鮮と外交ルートを持つ国々も公式に自粛を促していただけに、きわめて遺憾と言わざるを得ません。
このような状況を認識し、早速に日本政府として、安倍官房長官が正式に厳重抗議をし、麻生外務大臣が北朝鮮へ抗議しました。
日本としては、万景峰号の入港禁止などの制裁措置と、国際社会全体としての対応が重要との認識から、日米同盟に基づく米国との協力、6者会談への復帰を求め、そして、国連の安保理事会での決議提案など、慌ただしい動きが続いています。適切な情報収集・分析と、日本の安全を守る上で適切な措置を順次迅速に行うよう、政府一丸となっての取り組みが続いています。
米国の独立記念日(米国現地時間)に、日本の方向に向けて、実戦用のスカッドCミサイルあるいはノドンミサイルも含む多数のミサイルを発射したと考えられる今回の事態は、相当の意図を持っていると考えられ、まったく首をかしげざるを得ない行為であり、北東アジアの安全保障と平和構築を進める上で、極めて大きな問題です。
私自身、様々な緊急会議に出席するなど緊迫した状況が続いており、いま、時計が11時半を回って、やっとブランチのサンドイッチを頬張ったところです。
このあとも、日本の安全のため、全力を尽くします。
取り急ぎ報告まで。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告3
スイス・ジュネーブでの第一回国連人権委員会で、日本政府を代表し、スピーチをしました。
今日はそのスピーチの報告を。
ちなみに、このスピーチの様子は、日本のテレビニュースでも放映されたそうで、たくさんの方から励ましや応援のメッセージをいただきました。
励みになります。ありがとうございます。
■7月19日その3
音響が響かない構造の会議場なのか、殆どの大臣のスピーチで、イヤホーンを通さないと聞き取れない状態が続いていました。
ですから、私はまず、ゆっくりと大きな声で、しっかり聞こえるように話そうと考え、腹式呼吸でスピーチをしました。
喉ではなく、おなかから声を出す方式です。
中身はもちろんとても大切ですが、言葉が届かなければ、中身は伝わりませんから。
さて、人権理事会でのスピーチの中身ですが、だいたいこのようなお話をしました。
1.日本は、人権理事会創設を評価し、国連においての人権主流化の流れを支持します。
2.均衡のとれたアプローチを重視します。特に「対話と協力」と「(深刻な人権侵害への)実効的な対応」のバランスを追求すべきと考えています。
3.人権理事会が具体的な成果を国際社会に示し、効果的かつ結果重視たることに期待します。
4.この一環で、拉致問題解決を含む、北朝鮮の人権状況改善への国際的連携の強化を求めます。
5.我が国の人権外交理念の具体化として、「人間の安全保障」の考え方に基づく女性・児童等の弱者保護・能力強化を含め、広範な分野での国際協力・技術協力に重点的に取り組む姿勢を示すことをのぞみます。
話し終えてみると、腹式呼吸が奏功したようで、代表部の人々も、他の国の代表も、異口同音に「堂々としたスピーチ」「説得力のあるスピーチ」「迫力あるスピーチ」との評でした。
小柄で控えめな日本女性のイメージとは違って驚いたのかもしれません。
何とはともあれ、まず最初のスピーチが良い評価を受けて、一つ日本の役に立てたかな、とほっとしました。
ところで、後日談といいますか後刻談といいますか、その日の夕方のことです。
スイス外務大臣主催のレセプションのおり、ベラルーシ、スリランカ、フィリピンの人達がそれぞれ別々に私をさがしてやってきました。
そして、
「力強いスピーチをありがとう。実は私の夫も拉致されているのです」
と私の手を強く握りしめるのです。
北朝鮮による拉致とは無関係ですが、理不尽な拉致が行われている国が他にもあり、彼等にとっては、人権委員会でスピーチをした各国代表の中で、私がただ一人だけ「拉致」に言及したので、非常に心強く有難かったというのです。
現代社会の問題は、国際社会全体の枠組みの中で、人々の想いをしっかり束ね、様々な手段を講じ、真剣な対話を重ねながら、おそれず、たゆまず、一歩ずつ解決していかなくてはなりません。
そのことを改めて胸に刻んだ夜でした。
明日は、20日のジュネーブ軍縮会議について報告します。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告2
2006年07月04日
スイス・ジュネーブでの第一回国連人権理事会についての報告の2回目です
■7月19日その2
総会の雛壇には、アナン事務総長、エリアソン総会議長などが並んでいます。
この人権理事会の理事国選挙で日本が良い票を得て当選できるよう、私は昨年12月以来、36カ国の大使と話し、海外で会う大臣達をも説得するなど努力を重ねてきました。
それだけに、こうして、メンバーの47カ国の一員として第一回総会の日を迎えられたことに本当にほっとし、嬉しく思いました。
そんな想いで壇上を見ていると、隣席の担当部長が、
「山中政務官、壇上のエリアソン議長が、こちらにウィンクしたように見えましたが、山中政務官への合図ではありませんか?」
と言うのです。
エリアソン議長は、スウェーデンの外務大臣も兼務しており、国連きっての実力者。
昨年12月の訪米時に、国連で、平和構築委員会の委員に日本を入れるように、日本の考え方を説明し、日本がいかに早い時点からこうした活動に力を入れていたか、資料を並べ、丁々発止の議論を戦わせたのが昨日のようです。最終的には、お互いに信頼感を醸成でき、見事、日本は委員に選出された、という経緯がありました。
それで、ひょっとすると、と思い、左手をちょっと挙げて合図をしてみました。
すると、エリアソン議長はニコッと微笑み、片手を上げて、合図に応えてくれたのです。
たった一度しか会っていないうえ、その一回がギリギリの突っ込んだ交渉だったのに、私のことを覚えていてくれていただけでもありがたいことですが、きっと日本のこれまでの取り組みや平和構築委員会入りが決まるまでの経緯を覚えていてくれたのでしょう、「よかったね」という気持ちが伝わってくるような、とても良い笑顔でした。
その後、壇上からアナン事務総長が降りてきたときのことです。
会場にいる多くの人々がいっせいに取り囲み、固まりのようになって移動していたのですが、私のところまできたところで立ち止まりました。
おやっと思っていると、中心にいるアナン事務総長が私に向かって、
「こんにちは!また、ハイチに行きますか?私は7月の支援会議に行く予定ですが、あなたも参加されるのですか?」
と言うのです。
以前報告しましたが、5月にアナン事務総長が来日したとき、ちょうど私はハイチからの帰国の日だったため、成田から直行して外務大臣との会談に同席したのを覚えていてくれたのです。
日本は、顔の見える外交が苦手だと言われています。
外交といっても、結局は人間社会のことですから、信用と信頼が重要です。
一回、一回の出会いを大切にし、きちんと礼儀をわきまえながらしっかり内容のある交流を積み重ねていくことで信頼を得るという、縁を大事にしていくことが大切だと、私は考えています。
実際こうして、アナン事務総長も、エリアソン議長も、そう何度もお会いしていない遠い日本のしっかりと覚えていてくれて、以心伝心だったり、逆に、形だけでなく中身のある会話で、再会を喜べるというのは、何よりも国際社会での日本の印象を良いものにしていくことにお役に立っているのでは、という嬉しさを感じます。
睡眠時間を削りつらい移動をしてきても、こうして日本のために役に立てているのだと思うと、不思議と頑張れるものです。
夕方に予定されているスピーチは説得力と爽やかさで印象的なものにしようとあらためて気持ちがひきしまりました。
明日は、スピーチをめぐるお話について報告致します。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク
スイス・モンテネグロ出張報告1
2006年07月03日
体調管理の厳しい季節ですが、皆様お元気ですか?
少し日にちが空いてしまいましたが、今日から数回に分けて、スイス・モンテネグロ出張の報告をしたいと思います。
なお、公式な日程については外務省のリリースもご参照ください。
■6月18日~19日
成田を18日の昼に出て、フランクフルトで乗り継ぎし、スイスのジュネーヴに到着したのは、18日の夜10時過ぎ、日本時間では翌19日の午前5時過ぎでした。
10:30過ぎにホテルに入り、それから休む間もなく事前の打ち合わせに入ります。
部屋に戻ってからも、ホテル担当者が不調のコンピュータ回線の調整に出入りする中、準備を続け、眠りに就いたのは午前3時近く。
翌19日は朝から日程が入っており、実質の睡眠時間は4時間もとれませんでした。
ジュネーブでの2日間は、人権理事会でのスピーチ、軍縮会議でのスピーチのほかに、12カ国の大臣と4人の国際機関要人との二者会談、国連関係邦人幹部との意見交換会、スイス政府主催昼食会やスイス外務大臣主催懇親会、女性閣僚会議などの公式行事をこなすという超ハードスケジュールが組まれています。
超過密スケジュールぶりに、現地の大使館の職員が「ここまで過密な日程は見たことがない」と驚いていたほどです。
余談になりますが、現地の代表部の人たちも、本省から参加した官僚も、当然私がファーストクラスでゆっくり眠ってきたと思っていたようで、実情を聞いて驚いていましたが、大臣政務官という立場は、たとえ総理特使でも、政府代表でも、どれほど緊密な日程であっても、ファーストクラスなど用意してもらえません。
私は日本のために少しでも役に立てるなら、と思っていますから少々厳しい条件でもがんばりますし、貴重な税金を使って派遣されているのですから、時間も、お金も、経済するのは当然だと思っています。ただ、国会議員の海外出張というと贅沢な外遊をしているんだろう、と思う方がいらっしゃるなら、それは大きな誤解です。
さて、19日は朝から、国連ジュネーブ本部にて開催された第一回国連人権理事会に出席しました。
総会で基調講演をしたのは、アフリカ女性として初めてノーベル平和賞を受賞したマータイ女史でした。
そこで彼女は、なんと、「ジャパンのモッタイナイの精神」を披露し、世界にこの概念を広めたいと言ったのです。
日本の良い伝統が外国の人によって世界に広められるなんて、こんなに嬉しいことはありません。
日本人としてとても名誉なことですし、日本のイメージもぐっと良くなることでしょう。
そのあとの昼食会で本人に会えたので、しっかりお礼の気持ちを伝えたところ、マータイ女史のほうから「一緒に写真をとりましょう!」とにっこりしました。輝くような白い歯が印象的でした。
明日は、総会でのエリアソン議長とアナン事務総長についてのエピソードなど報告したいと思います。
Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク