外務大臣政務官退任のご挨拶

2006年09月26日

 ただいま、衆議院本会議場にて、首班指名に投票して参りました。
 それに先立ち、第三次小泉内閣が総辞職いたしました。
 昨年11月、外務大臣政務官を拝命して以来、皆さまにご支援・ご教示をたまわりながら、約10ヶ月にわたりその任にあたって参りました。お陰さまで、この総辞職を以って、無事その任を終えさせて頂くこととなりました。

 この間、海外出張で訪れた国はのべ25ヶ国、要人の来訪は100を越え、国際会議やレセプション、講演など、国内にあっても多忙な毎日でした。

 私が、外務大臣政務官という重責を滞りなく進められたのも、「身体に気をつけてがんばってください」「思いっきり、国のために働いて!」といつも励ましてくださった地元の皆様の温かく厚いご支援があったからこそ。
 心から、深く感謝致しております。

 また、直属の上司として私を信頼し私の報告にいつもしっかり耳を傾けてくださった麻生外務大臣、拉致特命チーム等でお世話になった安倍官房長官、支えてくれた外務省のスタッフに、感謝の気持ちを申しあげます。


 振り返ってみれば、本当にいろいろなことのあった10ヶ月でした。

 自衛隊のイラク派遣部隊が無事帰国し任を終えたのはとてもほっとする出来事でした。
 第1次は故郷北海道の北部方面本部からの派遣、しかもその送り出しの2003年冬に大学教授として幹部派遣員に派遣心得を話す機会を得たことから縁が始まり、第9次、そして最終となった第10次は、地元習志野空挺部隊からの派遣ということで本当に思い入れもありいつも気に掛かっていたからです。

 また、横田早紀江さんをはじめとする拉致被害者家族の訪米に随行したことは、大きな出来事でした。
 特に、横田早紀江さんの米国議会での証言の中で、めぐみさんが、暗い船底で「お母さん助けて!お母さん助けて!」と壁をかきむしって叫び続けたというくだりは、本当に胸を打たれました。
 外務省の担当者として、英語、ハングル語、中国語、フランス語、スペイン語、そして日本語とシンボルカラーの青い色のパンフレットを作成して国際世論を喚起する事ができ、また第一回人権理事会でスピーチの中でしっかり訴えさせて頂きましたこともささやかながらのお手伝いでした。

 悲しい事件として忘れられないのが、根室沖での第31吉進丸が銃撃・拿捕事件です。乗組員の盛田さんが亡くなられ、ご遺体を引き取りに巡視艇で国後へと向かったのが昨日のことのようです。
 真っ暗な国後沖で、ロシア側との厳しい交渉、木の葉のように揺れる巡視船での一晩、子供の時から船酔いする私が、「国の主権の問題だから、ここでは絶対に酔わない」と心に決めて一晩を過ごし、ロシア当局との交渉の準備に没頭しました。
 国家主権と人権を揺るがす事態に、日本は毅然たる態度を崩さず、安全操業、再発防止に取り組むと同時に、未解決の領土問題についてもぶれずに取り組まなければならないと強い決意での船中泊でした。
 3人の乗組員と握手したときの震える手と溢れる涙、棺を目にしたときの悲しみは、これから先も忘れることが出来ないと思います。

 公務海外出張は本当にハードな日程ばかりでしたが、行って本当に良かったと思うこともたくさんありました。
 ペルーの大統領就任式に特命大使として出席した際、現地で日系人、日本企業、大使館が困るほど日本とペルーの関係がギクシャクしていることを知り、徹夜で準備したガルシア大統領との二国間会談によって、大統領から「今日からペルーと日本は“完全なアミーゴ(友人)”」と言うまでに話を深めることが出来たこともそうです。
 親王出産の御慶事でご出席できなくなった秋篠宮殿下の代理となったパラグアイ出張では、日系人移住70周年記念式典に大統領が欠席するため日系人の方々が沈んだ表情だったので、前日の大統領との会談で日系人の方々がいかにパラグアイのために役立ちたいと日夜努力してきたかなど丁寧にお話しした結果、大統領から「明日は出席する」と予定変更をとりつけたこともそうです(当日は長い祝辞で日系人をよく褒めてくださいました)。
 コソボ、セルビア、モンテネグロ、アゼルバイジャン、グルジア、ハイチ、エクアドルと防弾車の必要な国々を訪れ、要人との会談の中で、日本の存在意義を理解してもらい、日本との信頼関係構築の一助となれたことも本当に嬉しいことでした。
 交渉に関しても、厳しい交渉は多くありましたが、がんばって良かったと思っています。
 特に、国連の平和構築委員会メンバー入りが不確実になって、国連本部で総責任者のエリアソン総会議長に、日本は資金提供だけではなく、考え方の上でも各国をリードできる事を説得し、日本の委員会入りの約束をとりつけたことや、国連人権理事会選挙に当選するために、36カ国もの大使を説得したことで、国連の新しい2機関へ日本が入る事に貢献できたときには、ほっとしたものでした。

 予想外のご褒美もありました。
 ジュネーブの人権理事会に出席したときには、国連職員の方々との意見交換会の席で、一人の若い女性職員が、「母が読んで感激した山中先生の『運良く女性に生まれたら、世界を舞台にひと仕事』を読んで刺激され、国連職員の道を目指したんです、先生、母のためにサインを」と言われました。
 パラグアイでは、ちょっと寄ってほしいと言われたハマナス会館の日系人のための図書館に、私が随分前に書いた『北海道が日本を変える』を所蔵していてくれたのです。
 地球の裏側で、遠いヨーロッパで…著者冥利に尽きるとはこのことでしょうか。

 また、国際平和構築の専門家の人材育成を、日本を含むアジアの若者と、早期退職した日本の専門家を対象として行う枠組みつくりのプロジェクトチームを1月に立ち上げ、8月には、ブラヒミ国連特使等その道の重鎮に来日していただき、キックオフのセミナーを国連大学と共催して行い、来年のパイロット事業開始へ、ひいては日本外交の柱の一つへと進めていく道筋をつけられたことは、私の年来の政策構想実現の一歩であり、汗を流して外交に尽力してきたことが形になってきたことを実感できた瞬間でした。

 本当にいろいろなことのあった10ヶ月間でした。
 本当にありがとうございました。

 安倍新総理の下で、自民党の改革路線はこれからも続きます。私自身、これまで学んできたことを活かし、微力ながら、日本の未来のため尽力できればと心を新たにしています。
 今後とも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

Akiko Yamanaka : この記事の固定リンク

ブラジル・パラグアイ公務出張

2006年09月02日

 9月の声を聞いて、関東では暑さも多少和らいできました。

 本日より、ブラジル(リオデジャネイロ及びマナウス)、パラグアイに公務出張いたします。

 ブラジルでは、G77科学技術閣僚会合に出席します。
 パラグアイでは、パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典に日本政府を代表して出席いたします。

 詳細については、外務省の公式リリースをご参照ください。

 季節の変わり目、皆様体調など崩されませんよう。
 それでは、行って参ります。 

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