国後派遣について 1

2006年08月24日

 8月16日早朝、根室湾中部漁協所属のかにかご漁船第31吉進丸が、貝殻島付近海域においてロシア国境警備隊により銃撃・拿捕され、乗組員の盛田光広さんが死亡した事件について、今回、外務大臣政務官として国後島入りし、現地当局関係者らに強い抗議を伝えるとともに、拘留されている乗組員と面会し、犠牲となった盛田さんのご遺体を引き取って参りました。
 日本国民の生命と安全を脅かす今回の事態に、強い憤りと悲しみを感じています。

 今回の国後島でのご遺体引き取りについて、現地北海道は勿論、私の地元千葉2区をはじめ、全国の方々から温かい励ましのお電話やメッセージを頂きました。心からお礼を申し上げます。日本の人々の温かさ、優しさに感謝しています。
 まだ解決には至っておらず、さらなる努力が必要な状況ですが、国民の皆様にも状況を共有していただきたく、本日より数回に分けて、報告させていただきます。

 出航に先立ち、8月17日に札幌で高橋北海道知事、自民党道連事務局長らと会談し、17日から18日にかけて根室では、藤原根室市長、土屋品子外務委員会理事、前原誠司前民主党党首、4島ビザ無し交流団西沢団長(中標津町長)、自民党対策本部小池道議会議員、根室支庁長、根室湾中部(湾中)漁業協同組合のみなさんらとお会いし、情報収集と意見交換を行いました。

 それから、乗組員のご家族を一軒ずつ訪問しました。ここではご紹介いたしませんが、お一人お一人とお話をしながら、つらさに胸が潰れそうな思いでした。

 18日の午後16時、出航が決定しました。
 確約がとれているのは遺体の返還だけ。拘留されている乗務員との面談も、代表者や責任者との会談も決まらない中での出航決定でした。

 午後16時30分、巡視船さろまは出航しました。
 天候は悪く、風が強く吹く中での出航となりました。乗船直前に、洋上は寒いから、という地元関係者の方々の配慮により用意された帽子と長袖上着を着用しました。
 支庁長、市長、漁協関係者等たくさんの方々の見送りを受けました。
 大きな声で埠頭から、
「頑張って来てください」「宜しくお願いします」「お気をつけて」
等の声がかかり、船が岸壁を離れてからも、いつまでも強く手を振って見送ってくれました。
 皆さんの思いに答えようと手を振り返しながら、頑張らなければと自分に言い聞かせていました。

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国後派遣について 2

 18時半頃国後沖に到着しました。
 ところが、ロシア側から、本日は悪天候のためはしけを出せないので明朝遺体を引き渡したい、との無線通告が入ってきたのです。

 一旦、根室に引き上げ、払暁に出直すか、このままうねりの強い洋上に停泊するか決めなければなりません。

 無線でやりとりをする間に、さろまの船長に直接接岸の危険性に関し検討してもらったところ、この湾は沈没船が非常に多く、昼間でも水先案内を得て座礁しないように接岸するのには困難を要するだけに、まして夜間の自力接岸は不可能との結論でした。とはいえ、一旦引き返した場合、翌朝の天候の保証もありません。

 ロシア側とのやり取りは一時間近く続きました。

 自力で接岸するか翌朝まで洋上待機するかどちらかを選択せよ、とするロシア側に対し、「本日中の直接接岸と翌朝まで洋上待機の場合の違いは何か?待てば3人の生存乗組員との面会が可能か?」と迫り、明朝まで待つなら3人の生存乗組員との面会を必ず約束する、との回答を得るに至ったのです。

 というわけで、湾の外で一晩待機することでロシア側へ圧力をかけ、確実にご遺体を引き取るのみならず、3人の乗組員との面会を実現しよう、と判断し洋上待機を決定したのです。
 海保17名、外務省3名、水産庁1名、道庁1名からなる乗組員一同はその主旨を良く理解してくれ、うねる洋上でチームワークを発揮してくれました。有難かったです。

 この交渉の経緯は近隣の他の船舶も傍受しており、3人との面会の約束を取り付けた段階で、励ましの言葉が無線で寄せられ、心強く思ったものです。

 はしけが航行できない波と風の中で、180トンの巡視艇さろまは一晩中揺れ続けました。
 厳しい一夜でした。

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国後派遣について 3

 一夜明け、07:30頃、風と雨の中、はしけへ。雨合羽の上にライフジャケットを着用し、さろまとはしけの間の隙間が狭くなる瞬間を見逃さず飛び移ります。

 はしけは日本から寄贈の希望丸でした。

 出迎えには、ジャプレ―エフ サハリン沿岸警備隊次長、イワノフ 現地国境警備隊隊長、セミョンチェフ 現地国境警備隊次長、コ―ワリ 南クリル区長らが来ました。

 はしけ上で日程日程確認をしたところ、昨日の約束通り、3人との面会+遺体引渡しです、と説明がありました。
 私は、3人との面会+遺体引渡し+事件の概要の説明(こちらからの要求の伝達)として貰いたいと強く要望し、交渉の末、ロシア側が受け入れに合意し上陸したのです。

 上陸後、早速代表会談を行いました。
 まずは、私から厳しい抗議を伝えました。

―いかなる理由があろうとも、武器を持たない無防備な漁船を銃撃し、乗組員を死亡させたことは、日本政府としては到底受け入れられない事態であり、強く抗議する。

―今般の事件に関する責任の所在を明確にし、責任を問う。

―ご遺体を直ちに返還すること、拘留されている3人の乗組員を直ちに釈放すること、船体の返還を求める。

―安全操業の確保や資源の共同管理など、再発防止への具体的枠組みつくりを早急にすることを求める。

―根室管内を中心に、北海道と北方4島住民は信頼関係を築く努力をしてきた。それを損ねるような今回の発砲死亡の事態を引き起こした事に関して、ロシア側の責任は重い。

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国後派遣について 4

 私の抗議に対するロシア側の説明は、これまでと変わらないものでした。

―威嚇射撃が、波が高く不本意ながら命中した。死亡した船員に対しては、遺憾の意を表すると共にお悔やみ申しあげる。

―今回の事故の責任は、国境線を越えて不法操業している漁船とそれを許している日本側にある。

 このような説明が受け入れられるはずもありません。改めて反論しました。

―国境画定していない地域である。

―拿捕の地理的位置について客観的根拠を提示せよ。

―4.9トンの小型漁船は、無線を搭載する義務が無いので、無線警告は効力を持たない。

―第31吉新丸の現状を見せて欲しい。

―3人の乗組員の即時釈放を要求する(船長以外の2人は取調べが終わり次第釈放するというニュアンスの返事を得た)。

―速やかに取調べを終え、釈放するように努力せよ。それが、国後と根室管内の人々のこれまでの友好関係を回復させる最も大事な要件でもある。

―3人はこの「友好の家」にいるのか、それともどこかへ移すのか?(食事も良い、南クリル区長が根室との連絡係となる、日本語教師も滞在中なのでここにそのまま一緒にいて貰う、といった確約を得た)

 交渉を終え、日本語教師4人と面会しました。四島交流のプログラムで、4月から滞在中とのこと。3人について意を用いてくれるよう依頼したところ、協力を快諾してくれました。

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国後での代表者会談の様子(写真提供 : 外務省)

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国後派遣について 5

 9時40分、3人の乗組員と面会しました。
 3人は、「友好の家」2階の、左右の壁に二段ベッドがしつらえられた一部屋を使用していました。

 面会は、ロシア側代表者たちのほか、カメラマンを含む数人のロシア人が常時出入りしている状況でした。
 ここでラインを越えたか質問すれば、周りのロシア人たちのプレッシャーなどから「はい」と答えざるを得ないのではないか、そして、日本政府の代表に対して越境を認めたということになれば、のちのち、たとえ帰国後に、事実は違う、と主張する場合においても厄介なことになるのではないか…そうした判断から、ロシア側に一切の言質を与えない方が有益だと考え、事実関係を質す質問はとりやめました。

 そこで、待遇、体調について確認し、家族からの言づてを伝え、家族からの薬や着替えを手渡したのです。

 さらに、ロシア側代表に伝わるよう通訳をさせながら、以下について3人全員に伝えて、退出しました。

―今回の死亡事件はまことに遺憾であり、いかなる状況であっても、無防備の漁船に対する行為として許されない。外務大臣はじめ、日本側はあらゆるチャンネルで抗議している。

―盛田さんの無念の思いを胸に、遺体の引き取りをおこなう

―3人の早期開放と船体の返還を強く要望した

―再発防止、安全操業の確保、資源の共同管理等に関し、今後双方で努力する事をロシア側も約束した

 退出時に一人ひとりと握手し、「御家族にお伝えする事はありますか?」と聞くと、皆一様に「ありません」と一言。でも、握る手は震え、涙が溢れていました。
 言葉に出なくても、3人の気持ちは痛い程感じました。

 ご遺体引渡しは10:20から、古釜布の岸壁は雨がひどく、屋根のあるはしけで行われました。
 そして、はしけ内で、「何教でも構いませんから、ここにいる全員で盛田さんの冥福を祈る黙祷を捧げてください」と呼び掛け、全員で一分間の黙祷をした後、さろまに収容したのです。
 時計は11時を回っていました。

 こんなに悲しい思いをする職務は初めてでした。

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国後派遣について 6

 亡くなった盛田さんの無念と御遺族の悲しみに、胸が痛みます。

 しかし、まだ事態は解決には至っていません。

 外相電話会談の成果もあって、二人の乗組員については本日にも解放の方向で話が進んでいます。
 お二人が帰ってこられることについては、素直に嬉しく思っています。
 しかし、ロシアに対しては、引き続き、船長も含む乗組員全員の即時解放を重ねて求めるとともに、再発防止の徹底と安全操業・資源の共同管理などの枠組みの確立を早急に進めなければなりません。
 もうこれ以上犠牲者を出すわけにはいかないのです。

 さらに、北方領土問題、国境問題についても揺るがずに解決へと努力を重ねなければなりません。
 私自身、本日も、このあと2006北方領土返還要求北海道・東北国民大会出席、その他今回の日本漁船拿捕・銃撃事件に関わる公務のため北海道へ向かいます。
 国民が一致団結し、東京、モスクワ、サハリン、根室や北方四島などあらゆるチャンネルから、あらゆる立場の、たくさんの方々の協力も得て、進めていかなければなりません。
 停滞する対ロシア外交を、適切な関係へとシフトしていかなければならない、もうその期限が来ているように思います。

 そうした日本のこれからのために私自身も、微力ながらお役に立てれば、と改めて気持ちを引き締めています。

 外務省発表の公式リリースもご参照ください。


 報告の最後に、改めて、理不尽な銃弾の犠牲となって若くして命を落とされた盛田光広さんのご冥福を、心よりお祈り致します。

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南関東ブロック会議

2006年08月22日

 早朝、みのもんたさんの『朝ズバッ』に出演させて頂いたあと外務省に移動、午前中は分刻みで来訪者があり目が回るような忙しさでした。

 そして、昼には横浜パシフィコに移動、党の「南関東・北関東合同ブロック大会」に出席しました。
 総裁選を控え、千葉、神奈川、山梨の南関東と群馬、埼玉、茨城の北関東ブロックが合同で大会を開いたものです。
 この日は、麻生、安倍、河野、谷垣、鳩山(順不同)の各総裁立候補予定者が勢揃いし、熱気に包まれた大会となりました。
 政策をしっかり論ずる自民党の総裁選は、本当に日本の将来を考えるにふさわしい論戦となってきています。
 私の地元からも40名の参加者があり、5人の候補の熱い舌戦を楽しみながら見守りました。

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八千代市街地再開発地域視察

2006年08月12日

 八千代の緑ヶ丘駅周辺の再開発地域を視察しました。

 緑が丘駅の八千代側には素晴らしい緑地帯があります。
 しかし、緑地帯を伐採し、住宅やを作っていこうという、新たに木を植え、いわゆるジャブジャブ川を作るという、これまでの都市再生機構発想での計画が決ろうとしていました。

 その案に対し、地権者の方々が、もっと新鮮で、中長期的な視野から、八千代らしい町つくりをしたいとの思いを持たれたというのです。
 そんな折、読売新聞で私の「香りの植物園」構想を読まれて、是非一度と呼ばれてこの日の視察となりました。

 このような駅からの至近距離と東京から35分という地の利と、両側にこんもりした木立が70~80m幅の緑地となって500メートルもの長さで広がっているという町の個性には素晴らしいものがありました。
 活用しない手はありません。
 細かに視察しながら、これまでと同様の何処にでもある町つくりでは勿体無い、と強く感じました。
 景観、住む人々の心地良さ、利便性、収益性などを考慮すると、「香りの植物園」にはぴったりかもしれない、と思いました。

 「香りの植物園」とは、ヨーロッパやニュージーランドなどで、目の不自由な方達が植物を楽しむために造られたものです。見えずとも、四季折々の香りを楽しむことで植物とのふれあいを創り出すというものでした。
 しかし、出来てみると、目の見える人々にとっても楽しめる場となり、ニュージーランドなどでは観光バスの停まる人気スポットとなっています。
 
 残念ながら、日本にはまだ、本格的な「香りの植物園」はありません。
 それで、私自身、いつか、この構想を日本で実現したいと思っていました。
 もし、縁のあった地元八千代市にできるなら、こんな嬉しい事はありません。
 早速に、八千代の方々とよく御相談し、そこで暮らす市民の方々の希望に沿った再開発となるよう、お手伝いを始めようと思っています。

 
 

 夜には、八千代の町つくりの会で講演をしました。
 八千代の町をより良くしたいと考えている多様な方々とお会いできました。
 御希望の講演テーマは「国際事情と八千代の町つくり」。
 会場一杯に集まってくださった方々に、直近の、ハイチのドナー国会議、ペルーの大統領就任式の模様、エクアドルの状況などと、世界の水問題をお話しし、後半は、私が以前、景観アドバイザーをしていた時からの町つくりのノウハウと、新川の河川敷の話や「香りの植物園」のことを話しました。
 質問も出て熱意ある会となりました。
 そして最後には、「世界に誇れる日本にして下さい」というような温かい励ましも頂き、この縁を大事にしてゆきたいと改めて思いました。

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荒木習志野市長暑気払い

2006年08月10日

 この日は、ベルギー大使叙勲のあと、荒木習志野市長の暑気払いに出席するため地元習志野へ。

 1年前の選挙のときに、本当に一生懸命動いてくださった荒木後援会の皆様の温かい笑顔に再会し、本当に嬉しく、ほっとする時間となりました。
 荒木市長のお人柄だけに、本当に熱意ある皆さんがたくさん集まって会場は大変な熱気です。
 私にも次々と近づいてくださり、手を握りながら、「テレビで見ているよ!」「これで握手は5回目だ!」という方もいれば、「選挙以来始めてだよ、元気そうだね!」という方も。
 順番に写真を撮りながら、本当に良い方々と縁があって幸せ者だな、とうれしく思いました。

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